高校の経験を大学に活かす
こんにちは、担任助手の姉川です!
ついに卒業式ですね...
3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!
まだ進路が確定していない人も多いですが、最後まで本当によく頑張ったと思います!
新3年生もあっという間に試験当日、卒業式が訪れるので、今のうちから自分の目標に向かって頑張っていきましょう!
新学期に向けての準備期間ということで、今日は、私が大学生になって改めて実感している「高校時代の経験」について、ブログを書こうと思います。
高校時代に意識したこと
私は高校時代、「人に教えられるまで理解する」ことを大切にしていました。 数学や物理の理論など、友人に「これどういうこと?」と聞かれた時に、何も見ずにイチから解説できるレベルを目指していました。
この経験は、大学生になった今、大きな武器になっています。
大学ではレポートや講義などで「自分の理解を論理的に他者へ伝える」場面が格段に増えるからです。また、深く本質を突く癖がついたおかげで、今の専門的な学びにもスムーズに入ることができました。
しかし、この経験を振り返る時、実はセットで思い出す「後悔」があります。
それは、当時の私が「教える側の自分しか、本当の意味での学びになっていなかったのではないか」ということです。
友人に勉強を教えている時、私は「わかりやすく伝えられた」「自分の理解が深まった」と満足していました。
しかし、今ではこのようにも思っています。
「私は、相手が自分で考える機会を奪ってしまっていなかっただろうか?」
当時の私は、自分が理解していることを一方的に「正解」として提示することに必死で、相手がどこで詰まっているのか、どうすれば相手自身の手で答えに辿り着けるのか、という視点が欠けていたように思います。
結果として、自分の成績は伸びましたが、教えていた友人の力を本当に引き出せていたのかと問われると、自信を持って「はい」とは言えません。
「教える」から「共に学ぶ」へ
この後悔は、今、私が担任助手として皆さんと接する上での大きな教訓になっています。
校舎で皆さんに質問された時、私はただ「正解」を教えるだけの存在にはなりたくないと思っています。 「なぜそう思ったの?」や「どこまで考えた?」などのように、 皆さんが自分自身の力で本質に辿り着けるよう、「教える側の自己満足」で終わらないサポートを常に心がけています。
勉強を教え合う機会がある皆さんも、ぜひ一度考えてみてください!その時間は、自分だけの学びになっていませんか?相手と一緒に、お互いの思考を深め合う時間になっていますか?
最後に
「人に教えられるほど理解する」ことは、自分の実力を高めるために間違いなく有効です。でも、もし誰かと一緒に学ぶ機会があるのなら、私の後悔を思い出してみてください。
相手の「なぜ?」を大切にし、共に考えるプロセスこそが、一人では辿り着けない深い学びへと連れて行ってくれます。
受験勉強という孤独な戦いの中でも、仲間と高め合える、そんな時間を過ごしてほしいなと思います。私たち担任助手も、皆さんの思考のサポートができるよう、全力で隣に立ち続けます!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


